こんにちは!
今回は「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版 Q」の考察です。
そもそもゲンドウと冬月は何をしようとしているのか?
それを今回は考察したいと思います。
「Q」終盤で彼はこう言いました。
「死海文書の契約改定の時が来ました。これでお別れです。あなた方も魂の形を変えたとはいえ、知恵の実を与えられた生命体だ。悠久の時を生きることは出来ても我々と同じく訪れる死からは逃れられない。死を背負った群れの進化を進めるためにあなた方は我々に文明を与えてくれた。人類を代表し感謝します。死をもって あなた方の魂をあるべきところへ還しましょう。宿願たる人類補完計画と諦観された神殺しは私が行います。ご安心を」
https://www6.nhk.or.jp/anime/eva-all/nerv-words/form.html?i=400_c2_040500 2020/6/22閲覧
すごく重要なことばかり語っていますが、今回の考察で特に重要なのはこの部分でしょう。
宿願たる人類補完計画と諦観された神殺しは私が行います
「人類補完計画」と「神殺し」。
この二つが何を意味するのか、それを探ることで何かが見えてきそうですね。
ここで前提として注意しなければならないのは「人類補完計画」と「神殺し」は別の行為である、ということでしょう。
①宿願たる人類補完計画
「宿願」とは「前々から持ち続けていた願い」、あるいは「前世に起こした誓願」とのこと。
正確性さよりも面白そうな方を選択するのがこのブログの考察の基本方針ですので(笑)、ここでは「前世に起こした誓願」の意味で使われたと解釈しましょう。
さて、ここで宿願とは「ゼーレにとっての宿願」のようです。
後述しますが、ゲンドウとしては「神殺し」の方にウェイトが置かれており、「人類補完計画」は「神殺し」をする上で前提としておこなわなければならないこと、というニュアンスが感じられます。
ところで「新劇場版」におけるゼーレはどんな存在なのでしょうか?
ゲンドウの発言では「魂の形を変えたとはいえ、知恵の実を与えられた生命体だ。悠久の時を生きることは出来ても我々と同じく訪れる死からは逃れられない。死を背負った群れの進化を進めるためにあなた方は我々に文明を与えてくれた。人類を代表し感謝します」とされており、ここからわかるのは、ゼーレは人類ではない、ということ。
もう少し正確に言うと、「かつて知恵の実を与えられた生命体(=人類?)であったが、現実点では人類を超えた存在」。
かつ「人間が猿であった時から存在し、文明を与え、人類を見守っている存在」。
なぜ彼らはそんな太古から現在まで存在し得ているのか?
これは、彼らにはもう肉体はなく、意識だけの存在となっているからでしょうね。
(まあすごく身も蓋もないことを言えば、映画「2001年宇宙の旅」のモノリスですよね、モロに笑)
では人類よりも上位である彼らはどこからやってきたのか?
これはおそらくですが、「旧劇場版」の世界でしょう。
「旧劇場版」で彼らゼーレも「人類補完計画」でLCLになったわけですが、結局「人類補完計画」は最後まで完遂されず、シンジとアスカだけ残ってしまった。
「新劇場版」が「旧劇」の最後から何万年もかけてやり直した世界だとするならば、彼ら旧ゼーレのメンバーの意識が7体のモノリスとしてなんらかの手段で復活し、「新劇場版」におけるゼーレとなったと考えても理屈は通るのではないでしょうか。
そしてその際、「裏死海文書」から「死海文書外典」へとシナリオを変更し、前世(人間時代)では完遂できなかった「人類補完計画」を今度こそ(モノリス時代)成し遂げようとしているのではないか。
ただ謎なのは、人類補完計画はまだ未完なのに、満足げに消えていったことですね。
②諦観された神殺し
「諦観」とは「本質を明らかに見て取ること」、あるいは「悟りの境地にあって物事をみること」。
「宿願」の方を仏教的な意味で解釈しましたから、こちらも仏教的な意味である「悟りの境地にあって物事をみること」の方を選びたいところですが、「諦観された」の「された」の部分には、「一般的に諦観された」というニュアンスが感じられるので、何か違う気が・・・。
ここでは字面通り「世間一般では無理だと諦められていること」というようなニュアンスだと解釈しましょう。
そうするとこの「神殺し」というのは比喩ではなく、本当にそのままの意味、つまり物理的に「神を殺す」ことをゲンドウは目指しており、そのためにヴンダーと本来の主である「アダムスの器」が必要なのでしょう。
まあそりゃあ、普通の人は「俺神を殺すで!」といったところで「・・・大丈夫?」ってなりますからね(笑)
では、「神を殺す」ことでゲンドウは何をしようとしているのか。
それはおそらく「神を殺す」ことで世界のルールを書き換え、ユイに会う(時間を操作する)ことであることは誰もが思いつくことでしょう。
じゃあ気になってくるのは「神」ってなに?ってこと。
最後にこれを考察しましょう。
説① 一般的な神
いわゆるキリスト教的世界観における「全知全能」であり、「ヒト」を作りだしたとされる神ですね。
説③ 旧劇場版ラストのシンジとアスカ
「旧劇」と「新劇場版」が地続きだとするならば、「新劇場版」の人々にとって二人は神に等しい存在と言えるでしょうね。
説④ 庵野秀明
これがないとも言えないのが怖いところですね(笑)
「旧劇」でも劇中で名前出てきちゃってますしね、総監督・庵野秀明。
・まとめ
・ゼーレには肉体はなく、意識だけの存在となっており、人類の上位存在となっている
・「神殺し」とは比喩ではなく、物理的にヴンダーによって神を殺すことである
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