こんにちは!
今回は 新世紀エヴァンゲリオン 25話「終わる世界」、26話「世界の中心でアイを叫んだけもの」のお話です。
TV版 25・26話は人類補完計画の様子をインナースペースにしぼって描いたものとされています。
ここでは、結局のところ「両親に愛されなかった」というトラウマを持つシンジ、アスカ、ミサトの三人の「他人に拒絶される恐怖」と「孤独と言う恐怖」の2つの恐怖を行ったり来たりする様子が描かれていました。
この二つの恐怖の問答を延々繰り返した末、シンジ君は「自分はここ(=現在地点)にいていい」という現状肯定をし、「おめでとう!」と祝福されることで物語は終わります。
問題は結局シンジは補完されたのか?ということ。
これがよくわからないんですよね。
「壁が壊れた末に祝福される」という過程を取っているのですが、この「壁」がなんなのか?
ATフィールド(=心の壁)が壊れた=補完された、ということなのか。
それとも、壁を壊した=ゼーレのもくろみを乗り越えた(=補完されてない)、ということなのか。
難しいですよねえ。
ただまあ、ゼーレは補完計画が「希望」だと言っていましたが、補完計画の最中のシンジ君もミサトさんもアスカもすごい辛そうですけどね(笑)
本当にこれが希望なのか?っていうね(笑)
関連記事はこちら↓