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レントンは○後の世界からやって来た? 「EUREKA 交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」 ラストシーン考察

こんにちは!

 

今回は「EUREKA 交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」、ラストシーンの考察です。

 

 

前回書いた記事ではかなり否定的な意見でした。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

この記事を書いた後、色々なサイトを見たのですが、やはり賛否両論が多いですね。

しかも賛の人も「ANEMONE」のように手放しで称賛というよりは、色々と留保をつけた結果、賛かなあ、というニュアンスが強かった印象。

やはりみんな、この作品にどこか釈然としない思いがあるのでしょうか。

 

さて、それを踏まえてラストシーン、レントンは結局どこから来たのか?を考えていきましょう。

これについては色々な記事を読んだ感じ、二つの説がありましたね。

 

・別世界に飛ばされていた説

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

最初に言ってしまうと、たぶんこれが正解です(笑)

簡単に言えば、クォーツの力で別世界に飛ばされていたレントンですが、コンパクドライブに導かれてラストでエウレカの元に帰ってきた、という感じですね。

なので、ハイエボ1、ANEMONEでの新作パートでのレントンはずっとその世界にいて、エウレカに再会するために奮闘していた、ということになりますね。

まあハイエボ1の段階での構想がだいぶ変わったらしいので、よく考えると「ん?」となる部分はありますが、まあそこはクォーツの力なんで、と言えばすべて納得せざるを得ないですね(笑)

 

この説については、ものすごく論理的に解説しているブロガー、YOUTUBERの方が何人かいますので、詳しく知りたい方是非そちらを。

 

・アイリスの夢が具現化した説

 

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これが二番目に多かった解釈ですね。

アイリスの持つ夢を現実に変える能力。

そしてアイリスの夢の中に度々現れたというレントン

エウレカの中にあるレントンへの想いがアイリスに影響を与えたのか。

あるいは、レントンがすべてのエウレカに介入する因果なのか。

 

上記したように、最初に紹介した説の方がおそらく理論的には(製作陣の理屈的には)正しいのでしょうが、この解釈の方がなんかすっきりします。

 

 

・死後の世界から来た説

 

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これは自分がネットで色々と見た限り、誰も唱えていなかった、いわばほほえみデブのオリジナル解釈です。

これはもう、直感というか、感じたままというところなんですが、「レントン死んでるんだよね?じゃあ死後の世界から来たんでねーの?」というシンプルな解釈で(笑)

ただ自分がそう感じたのはいくつか理由があって。

 

まずレントンが登場する終盤のシーンに漂う「死の空気」。

ホランドは特攻し、デューイがそのものずばりで「死ぬことこそ救い」とのたまっていましたから、その流れの中で登場したレントンもやはり死んでいることに変わりはないのではないか、という。

 

そしてデューイが言った「涅槃」と言う言葉。

エウレカは「阿弥陀」とか「魂魄」とか仏教用語からの引用も多いですよね。

そして今回では涅槃の扉を開くことがデューイの目的だったわけで、その涅槃の扉が開きレントンがやって来たのではないか?

そして「涅槃=死後の世界」なのではないか?と。

 

(もちろん仏教用語本来の意味では涅槃はそういう意味ではないのは承知ですが)

 

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また、今回のレントン、個人的な感覚で申し訳ないのですが、仏感があったんですよね(笑)

ではその仏感はどこから来るか?

それは悟りです。

すなわち解脱です。

 

今回、エウレカがまだレントンへの未練を残しているのに対し、レントンのスッキリした様子は対照的です。

まるですべてを知り、すべてを許すようなその態度。

それは仏教用語本来の意味での涅槃の住人のような安らかな様子。

 

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いやまあ、すべては自分の想像というか、ただの妄想と言うか・・・(笑)

根拠といえるほどご立派なものはないんですが(笑)

ただなんとなく、自分はそういう風に読み取ったというお話でした。

 

・終わりに

鑑賞直後には釈然としないもやもやとした想いでいっぱいだった「EUREKA」。

今でもまだすべてがすっきりしたわけでもなければ、蛇足だったという意見を覆すつもりもありません。

ただ一つ言えるのは、この映画を称賛している人がいるのも理解はできるようにはなったというか。

決して共感も納得もしませんし、期待を裏切られたという思いは消えないでしょう。

それでも、あくまでも制作者たちは「エウレカセブンたらん作品」を作ろうという思いだったことは理解しました。

数年後にもう一度見なおしたら、また考えが変わるかも、しれません。

蛇足は蛇足でしたし、つまらないのはつまらない。

ただ、意味のある蛇足だったし、意味のあるつまらなさだった、とは思います。

 

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