こんにちは!
今回は内館牧子著「女はなぜ土俵にあがれないのか」の感想です。
相撲は古代の神事から格闘技、そして「国技」へと鮮やかな変貌を遂げながら、一三五〇余年を生き抜いてきた。日本人の豊かな精神性が凝縮されたこの伝統を、「男女共同参画」や「グローバリズム」などという、現代の価値観で踏みにじっていいのだろうか?誰よりも相撲を愛し、相撲研究のために大学院にまで飛び込んだ人気脚本家が、「聖域としての土俵」誕生の歴史に迫り、「土俵の女人禁制」論争に終止符を打つ。
仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。
- 作者: 桐谷ヨウ
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2016/05/25
- メディア: Kindle版
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この本は女性の相撲研究家が、「土俵に女性を上げないことを肯定する」本です。
まず最初にこう宣言されます。
ハッキリと申し上げておく。
私は土俵の女人禁制を、男女差別とは思っていない。
女が土俵に上がる必要はない。
彼女の主張をすごく簡略化すると「相撲は神事であり、儀式であり、伝統である。それにはきちんとして理由があり(その説明に本書の大半は費やされる)、また女性をある特定の条件下(後述)であげることもゆるされる。だとしたら伝統を捻じ曲げてまで上げる必要性はない」、といったところで。
ではその条件は何かと言うと(詳細は省きますが)、土俵は結界が貼られている間は土俵だが、結界が解かれればただの土の塊であるので、結界が解かれている間なら女性も上がることが出来る、というもの。
21世紀のこの時代に結界だなんだと「こいつまじか」という感じですが(笑)、これ本文を読むとまあ、一応理屈は通っている。
だからまあ、人によっては「そういうことなら女性をわざわざ上げなくていいんじゃない?」というかもしれない。
でも自分はやっぱり「女性を土俵にあげない」というのは時代遅れ、だと思いますよ。
この本では「相撲知らないやつがごちゃごちゃ言うな」というスタンスが一貫して貫かれていますが、まずそのスタンスが「ないわあ」という感じ。
この本で問題になるのは公的事業として女性が土俵に上がらなければいけない場合なのですが、じゃあそういうポジションにある人は相撲について熟知しているのか?していなければいけないのか?
そもそもなぜ「相撲界」のルールが「一般理念」より優先されるのか、その根拠がまったくわからない。
「こういう伝統がありますので!」と言われたところで、それに従わなければいけない理由がわからない。
じゃあこの本の著者はある日、殺人一家の家をうっかり訪問して「我が家は代々研究者はぶち殺す伝統がありますので」と言われたら「そうですかわかりましたハイどうぞ」と殺されるのか。
もちろんこれは極論ですが(笑)、要するに「伝統があるからといってそれがいかに時代遅れでも従わなければばらないのか?」ということなんです。
別に伝統は否定しません。
でもそれはその伝統を守ることに賛成のひとだけでやればいい。
他人の意思や人権を踏みにじってまで、伝統って守らなければならないとは、自分はおもえません。
むしろ他人に不幸を強いるような伝統なら変えていくべきだと思う。
それがこの本を読んでの結論です。
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