こんにちは!
今回は映画「ミュージアム」の感想です。
監督・脚本 大友 啓史
あらすじはこんな感じ↓
雨の日だけに発生する猟奇殺人事件。
死体を見せることにこだわる犯人・カエル男は、自らをアーティストと呼び、犯行現場には必ず謎のメモを残す。
連続する事件の関連性に気付いた刑事・沢村と部下の西野が捜査を進めると、驚愕の次のターゲットが浮かび上がる。
カエル男の罠にはまり、逆に追い詰められていく沢村。謎の“私刑"執行アーティスト・カエル男は一体誰なのか?その本当の目的とは?
そして、沢村が絶望の密室(ミュージアム)で見たものとは…! ?あなたは最悪のラストを期待する。
良い映画でした。
前半「セブン」、後半「ソウ」のような感じで、日本メジャー映画ではめずらしく残酷描写も手加減なしで描かれており、非常に好印象。
さて今回書きたいのはラストシーンの解釈について。
一般的な解釈をまず引用したいと思います。
同じくはてなブロガーである、「あつ」さんの「TOKYO ALONE」から。
レビューを見ていると最後のシーンの解釈が良くわからない。あるいは、サイコホラーなのに、ハッピーエンド?みたいなことがSNSでも結構言われていました。
私としては、一番「ゾクゾク」としたシーンです。
ということで、このラストシーンに関して自分なりの解釈を書いておきたいと思います(たぶん、間違ってない)。
まず、この前にカエル男のアレルギーが心因性のものであることが明らかにされましたよね。
つまり、遺伝的に光に弱いのではなく、心の問題であると。
そして、沢村自身最悪の結末は回避できたはずだが、「カエル男のミュージアム本当にこれで終わりなのか?」ということを振り返っています。
この流れで、最後沢村の子供が光線過敏症であると示唆されたのは、カエル男のミュージアムが子供に引き継がれたということを意味するのだと思います。もちろん、「お仕事見学の刑」による心因性のものです。
加えて、カエル男の両親は劇中であった通り、細切れ殺人・未解決事件の被害者でしたよね。
嫌な予感がしてきませんか?最後の最後でも「嫌な予感」マックスです。
ラストシーンが何を意味しているのかしっかり見て、これから先何が起こるのか想像した時、その結末が『セブン』を超えたものになっているということが理解できるんじゃないかと、私は思いました。
つまり、決してこの映画はハッピーエンドじゃありません!はっきり言ってしまうと、描かれていないだけで、あのあと両親は確実に子供の手によって6つ目の作品になります。
というのが、私の個人的な見方です。
おそらくこの解釈が正しいんだと思います。
しかし、自分の解釈は違います。
おそらくこの解釈はおかしいんだと思うし、映画内の描写とも矛盾するでしょう。
でも自分が直感的に思ったことをこれから書きます。
それは「沢村の子供は実はカエル男の子供なんじゃないか?」ということ。
そう思う根拠は、光線過敏症は心因性のものですが、全ての人がストレスがあったから発症するというものでもない。
もしかしたらカエル男の子供だから潜在的に発病するリスクが高く、(カエル男が意図的に)ストレスを与えて発症させた(?)とか。
また息子が絵を描き、「こんなとこ行ったっけ?」「ほら、こないだのコンビニの」という場面。
ここの尾野真知子(沢村の奥さん)の何かを隠すような表情と演出。
ここを自分は、自分を構ってくれない沢村に愛想をつかした奥さんは、実はカエル男とは頻繁に接触しており、父親的な役割をしていた。
だから本当はカエル男、奥さん、息子で遊園地にでも行った光景を描いたものだったんではないか?
絵が拙いからわからなかっただけで、と解釈しました。
さらに言えば奥さんはカエル男の協力者だった可能性もありますよね。
奥さんだったら沢村の普段の挙動をしることも、盗聴器などを仕掛けることは可能ですし、陪審員仲間とも疑われずに接触できるはず。
だから可能性としては、奥さんがカエル男の協力者(カエル男がメイン)、奥さんとカエル男は対等、むしろ奥さんが黒幕、というのも考えられますね(笑)
さすがに飛躍しすぎかな?(笑) もはや妄想の域ですね。
もしかしたらこの↑「ミュージアム 序章」にヒントがあるかもしれないので、見てみたいと思います!