こんにちは!
今回は「TAKESHIS' 」「監督、ばんざい!」「アキレスと亀」の三部作の感想です。
この三作は北野映画の中でも三部作としてくくられています。
が、何の三部作なのか、というのは人によって考え方が違うところなんですよね。
明らかに同じようなテーマや姿勢で作られているはずなのに、うまくその核を言語化できない。
今回の記事では北野武による自己言及三部作としますが、それでもうまく言い当てたなあ、という気はしないんですよね。
誰かバシッとくるワード発明してくれないかなあ笑
で、総論的な話をすると、この三作で北野武は映画(芸術)を作ることで自己言及をしているんですね。
その彼の映画とは個人的に大きく三つの要素で構成されていると思います。
それは
笑い
暴力
女性
この三つだと思います。
そしてその三作は、この要素のバランスを変えながら描かれています。
が、どの作品にもそれぞれの要素はきちっと入っていると考えてはいます。
ということで、各論に入りましょう!
この作品は女性の要素がかなり出ていると思います。
芸術家の夫を支え続ける妻。
劣悪な環境で働き続け、死んでしまった娘。
この二人の女性に支えられて、というか二人から搾取してまで芸術の道を歩み続ける主人公。
この映画を見る限り、北野武の女性観にはあまり感心できませんね。
15年近く前の映画だとはいえ、献身的な妻を良いものとして描いてしまうのは、うーん、、、。
ただ極めてブラックユーモアな、娘の死に顔を絵にしようとするシーンなんかの突き放した視点を見る感じ、もしかしたら彼は女性に対して、そう一筋縄ではいかない考え方を持っているのかな、という気もしますね。
・監督、ばんざい!
北野武監督が、自分は世間からどう見られているのか?自分の作品に商業的に価値があるのか?という、彼の外側にある、いわば社会と自分との距離の葛藤を描いた作品だと思っています。
この作品では今までの自分の作品を模倣し、ツッコミを入れていくことで自分自身を解体したいっていると思います。
その上で、映画的であった前半に対し、どんどんテレビコントのようになっていく後半というコントラストは面白く、同時にTAKESHIS'を読み解く鍵になると思います。
・TAKESHIS'
世間では一番難解な作品と言われていますね。
たしかにまじめに捉えようとすると難しいのですが、自分はこれをテレビ的コント映画だと解釈したのでわりとすっきりと楽しめました。
テレビ的コントとは、めちゃイケやはねとび、ピカル、そして新しいカギのような、固定のレギュラー出演者で回していくコント番組、とここでは定義します。
そして、その源泉はドリフであり、そのドリフを潰すために始まったひょうきん族です。
テレビ的コント番組の面白さとは、同じような舞台や背景を使い回し、同じレギュラー出演者のおなじみのギャグやフレーズで笑いを取り、そして回を重ねるごとに深まっていくレギュラー出演者達の関係性の積み重ねの面白さだと思います。
その定義を踏まえた上で本作を見ると、同じシチュエーションと同じ出演者を使い、何度も同じような展開を繰り返しながらどんどんと発展し、カオスになっていく、という構成は毎週毎週放送されるテレビコントを一本の映画に収めた、というふうに見えませんか?
いわばこれは、天丼映画なんです。
だから全編コメディなんです笑
同じことを繰り返すことで笑いを作るという古典的手法を、トリッキーな方法で実現している映画なのではないな、と思うのです。
それと同時に、次作「監督、ばんざい!」では自分と社会という外部との関係性を描いたのに対し、今回はビートたけしと北野武という、本来一人の人間の中に収まらないであろう二人の相剋という、内面的な葛藤が描かれています。
そしてその葛藤は、暴力という形で強引な解決を見ようとするのです。
・まとめ
内面の葛藤をテレビコント的に描いた一作目。
外部との軋轢を映画とテレビバラエティ的笑いで描いた二作目。
比較的まじめに、芸術に従事するものの狂気を映画的に描いた三作目。
こう見ていくと、北野武の中でテレビではできない暴力性と、ビートたけし的笑いが作品を重ねるごとに減っていき、最後には女性に到るという流れが面白いですね。
暴力、笑い、女性の三つによって構成されている監督の自意識の変遷が見えてくるようで。
まあ、この解釈が合っているかはわかりませんが。
でも、TAKESHIS'は、テレビコントの総集編だと思ってみてみると、ほんと分かりやすく見れると思いますよ!
おしまい!