こんにちは!
「ジョーカー」本当に良い映画でした。
ところで、皆さんは去年の同じような時期に、同じようなコンセプトで公開された映画「ヴノム」を覚えていますか?
これがまあ非常に中途半端な映画で(笑)
「何かを貶すことで何かを褒める」と言う行為はあんまりしたくないんですが、この二本が同じコンセプトを持ちながら、まったく別のベクトルにむかっていたので、比較してみたいと思います。
まず基本情報からおさらいすると、「ヴェノム」はマーベルコミックスの「スパイダーマン」の強敵・ヴェノムを主役に据えた映画。
そして「ジョーカー」はDCコミックスの「バットマン」の宿敵・ジョーカーのオリジンを描いた物語。
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今、映画業界は空前のアメコミバブルなので、こういうヴィラン映画も作れてしまうんですよね。
さて、同じヴィラン映画でありながら、この二作は全く別の方向性の作品だったと思います。
「ヴェノム」についての記事で僕はこう書きました↓
予告などでは「悪のヒーロー」という点をすごく強調していましたけど、「そんなに悪かなあ?」って感じ(笑)
ちょい悪?(笑)
なんかね、乗っ取られる人間も、体を乗っ取るシンビオートも、どっちも根っこはいいやつなんですよ。
(中略)
だから全編に渡って、どっちらけ感というか。
「結局ホラーなの? バディものなの? ダークヒーローものなの? どれがやりたかったの?」というのがよくわからない。
そこが気になっちゃって、あんまり入り込めなかったかなあ。
この時は「中途半端」という漠然とした感想を持っていましたが、なぜそう感じるのか、それは明確につかめていなかった。
しかし「ジョーカー」をみてその正体がわかりました。
なぜ「ヴェノム」が中途半端だったか?
それは結局、従来のアメコミ・スーパーヒーロー映画の枠組みで映画を作っているからです。
だから悪を名乗っておきながら、悪と言うよりは過激なだけのちょい悪ヒーローにヴェノムが成り下がっている。
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対して「ジョーカー」の突き抜けっぷりは素晴らしい。
この映画で、社会的に圧倒的な弱者であるアーサーは、迫害され、搾取され、無視され、そして自らの闇に直面し、そしてそれを受け入れ、悪のカリスマになる。
またヴェノムが「悪い奴に体を乗っ取られた」という逃げ道を作っていることもその中途半端さに拍車をかけているでしょう(いや、元からそういう設定ではあるんですがね)。
でもそういう設定だとしても、あの映画みたいに「流れに任せたらこうなっちゃいましたー」みたいなものじゃなく、もう少し自覚的にダークサイドに落ちる描写があってもよかったんじゃないのかなあ。
対して「ジョーカー」はどこまでも自覚的にアーサーは悪に落ちていく。
しかし、よく考えれば彼はそうせざるを得ない状況に追い込まれてはいる。
彼を追い込んだのは格差社会だったり、世間の目だったりする。
深い。
深みが違いますよ。
この二人が背負っている闇の深さが違いすぎる。
結論
「ジョーカー」というのは、これからヴィラン映画を作る人の手本であり、敵です。
次、こういうコンセプトの映画を作れば、好むと好まざるとに関わらず、この「ジョーカー」と比較される。
これは製作側としては恐怖でしょう。
こんなとてつもない完成度の作品を超えられるのは非常に難しい。
というか、「ジョーカー」は早すぎた感がありますね。
「ジョーカー」は「ヴィラン映画であることの必然性」という意味においてもはや完全な回答を出してしまった。
本来ならこのジャンルの作品が出尽くした上で、切り札として出すべき作品。
それが二作目で出てしまった(笑)
同じような企画が進行しているのかどうかは知りませんが、もしあるとした製作者は頭を抱えているでしょう。
「ジョーカー」の後に何を作っても、勝つ見込みはほぼないからです。
決定打となる作品がもう出てきてしまった。
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映画「ジョーカー」は完璧すぎた故に、「ヴィラン映画」というジャンルを二作目にして終わらせたのかもしれません。