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なぜもっと「あれ」を描かないのか? 映画「記憶にございません!」 

こんにちは!

 

以前こんな記事を書きました↓

rimokongetao.hatenablog.com

 

この記事の中で自分はこう書きました。

「この映画は空虚だ」と。

この部分がわかりにくかったかもしれないので、補足的な記事を書きたいと思います。

   

なぜ空虚に感じるのか?

それは「中井貴一が記憶なくす前がしっかりと描かれないから」です。

 本作の筋は、強欲で自己中心的な男が記憶を失ったことで変わり、周囲の人も変えていく、というもの。

記憶力日本一を5度獲った私の奇跡のメモ術 (幻冬舎単行本)
 

その筋自体は面白いし、それを総理にあてはめるというアイデアはさすが三谷幸喜と思う。

 

でもね、なぜそこで過去をきちんと描かないのか?

この映画では変わる前の彼がほとんど描かれないので、彼がどう変わったのかよくわからない。

例えばゴルフのエピソードを削って、最初の30分でパパパッと記憶を失う前の最低状態の中井貴一を描き、石に当たって記憶を失ってから、その彼がどう変わるのか。

そういうスタンダードな描き方でやったほうがよかったんじゃないのかなあ。

そうしたらなくす前と後で同じ状況に放り込まれてもまったく態度が違う、という笑いもできるし、草刈正雄を失脚させるくだりももっとエモーショナルになったと思うんだけどなあ。

 

まあ三谷幸喜と言う人はそういう普通というのがあまり好きじゃない人のようですから、今までないようなものを作りたかったんでしょうけど、もう少しやりようあったんじゃないかなあ、と思ってしまいます、この出来だと。

 

こういう言い方はめんどくさい映画好きみたいでいやなんですが、「これは映画じゃない」といいたくなってしまいますよ・・・。