こんにちは!
今回は映画「アフロ田中」の感想です。
監督:松居大悟、脚本:西田征史
あらすじはこんな感じ↓
まだ見ぬ彼女を探し求める妄想男子、間違えまくりの奮闘記。
強烈な天然パーマでこの世に産まれ落ちた田中広(松田翔太)。24歳になった今も彼女は出来ず、日々をなんとなく過ごしていた。
そんな時、学生時代からのダメ仲間大沢(堤下敦)、岡本(田中圭)、村田(遠藤要)、井上(駒木根隆介)のうち、井上が結婚するとの
知らせが舞い込む。驚きと共に田中が思い出した“誰かが結婚する時、それぞれの彼女を連れていこう"というモテない男ならではの
悲しい約束。「やばい…、これは早急に彼女を作らねば!」そんな田中の前に、お隣に引越してきた加藤亜矢(佐々木希)が現れた!
「あんなのどうこうできるはずないだろ!」激しくあふれ出す好意(と性欲)をおさえられない田中。
果たしてXデー(ただの友達の結婚式)までに彼女を作ることができるのか!?
まずこの映画を作った監督と脚本家はちゃんと原作を読んだのか?
仮に読んだとして、原作のどこをどう読めばこんな映画に仕上がるのか?
何より分かってないのは、佐々木希演じる映画オリジナルキャラ。
彼女は可愛くて、ピュアで、本気で田中に好意を持っている(風)。
でもこんなきれいなキャラはアフロ田中の中にはいらないんだよなあ・・・。
アフロ田中シリーズの面白さというのは、人間のだらしなさ・どうしようもなさ・下品さ、そういうものを生生しくかいているから面白いんです。
だから例えば一見美人でもきちんとうんこもするし(ブリブリ音を立てて)、ヤリマンで性格が悪かったりする。
それがリアルだし、それでこそキャラが憎めないものになってたりする。
でもこの映画における佐々木希のイノセントぶりはどうだ?
そりゃあこの時期の佐々木希に屁をこかせるわけにはいかないでしょうよ(笑)
でももう少しやりようがあったんじゃないの?
例えば最後の最後で、佐々木希というのは実は自分が大好きなだけなんじゃないか?と一瞬ほのめかされたりしますが、そういうかわいくてちやほやされ続けてきたやつの無自覚な傲慢さとモテない人生を送り続けてきた田中のすれ違い、みたいな視点で描いていけばもう少しどうにかなったと思うんだけどなあ。
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自分にはただ、恋愛経験値の低い田中が、美少女の言動に振り回されるだけの映画に感じてしまいました。
要するにこの映画には原作の持ってる面白さのエッセンスが全然出てない。
しかもよりにもよって田中と美少女の恋愛ものに変えるという圧倒的な改悪。
あのねえ、田中はねえ、美少女と恋愛なんてできないの!(笑)
原作の田中の彼女見てみ?
ちょうどよくブスだから。
それがリアリティでしょう。
だからこそ彼らのどーしようもない人生が「わかるわかる」と共感しながら笑えるんでしょう。
この映画を作った人たちはその原作の面白さがまったくわかってない。
なのに中途半端に原作からエピソード持ってきて、挙句の果てにあの、漫画だからぎりぎり成立しているアフロだけはなぜかしっかりと実写化。
そういうことじゃねーんだよなあ・・・。
漫画の実写化と言うのはルック(=見た目)を再現することじゃないんですよ。
ルックを再現するのはコスプレです。
そうではなくてたとえ見た目は違うとしても、原作の精神だったり、面白さの構造だったり、そういう本質的な要素の部分を掬い取って映像として再構成する。
それが正しい漫画の実写化でしょう。
そういう意味で、この映画はまったくダメといっていいでしょう。
でも最後、田中が佐々木希にフラれて、せめてものあがきに胸を触る所、あそこだけは田中の精神がよく出ていたと思います(笑)
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