こんにちは!
今回は「福祉は「性」とどう向き合うか:障害者・高齢者の恋愛・結婚」の感想です。
「私、知的障害者だから恋愛できないね」は、日本社会の現実なのか。
老いらくの性は、年甲斐もないことなのか。
障害者・高齢者の性・恋愛・結婚は、自己責任なのか。
本書は、当事者とその家族・支援者(福祉職員・街コン関係者等)へのインタビュー等を基に、
「機会平等」の観点から支援の是非・あり方について考えたものである。「自己決定の尊重」と
「社会規範」の狭間にある、誰もが持つ「性的ニーズ」への支援について真正面から捉えた一冊。
健常者にも障がい者にも性欲はあります。
それは当たり前の話。
そして、性欲を持っているなら、それを行動に移したいと思うのも当然の話。
健常者なら恋人とセックスをしたり、風俗に言ったり、オナニーをすることでその欲求を解消できます。
しかし、手足などの身体が動かない身体的ハンデや、性欲に対し適切に判断できない精神的ハンデを持つ人々はどうすればいいのか?という点を論じたのがこの本。
例えば体が動かない人を風俗店に連れていくことを福祉サービスとしておこなうべきか?
身体障がいがあるカップルのセックスを補助するべきか?
施設内での恋愛を認めるべきか?等々。
そういった疑問に対して、文献やインタビュー、証言から「福祉と性」のあるべき方向を真面目に議論していきます。
例えば登山に例えてこんな発言があります。
「危険を犯す権利、失敗をする権利。
それを、あなたはどう思っているのかと。
僕たち(障がい者)は危険を犯すこともできないのか、と。
健常者は「命の危険のある、一歩間違えば死んでしまうこと」でも自分の自由意思ですることができます。
登山もそう。
でも障がい者の人たちは「危だから」「死ぬ可能性があるから」ということで、チャレンジすることすらできない。
それは性行為に関してもそうでしょう。
「危ないから」「危険だから」という理由で性行為を抑圧することは、果たして良いことなんでしょうか?
とはいえ、介護する側に負担があることも事実。
例えば、認知症の老人からレイプされかけた女性職員のこんな証言があります。
支援者である限り、利用者のけがは細心の注意をしなければならない。
自分のされている不快なことから逃れるためには、不快なことをする利用者の安全を確保してから丁寧に逃れる必要がある。
例えレイプされかけても、無心にはねのけることもできない理不尽。
「障がい者と性」というテーマについては、こういう風に彼らが加害者となることも、被害者となることも、どちらも考慮しなければいけないというある意味アンビバレントな状況にあります。
皆さんはどう考えますか?
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