こんにちは!
今回は、北朝鮮についての本「北朝鮮を撮ってきた!」(ウェンディ・E・シモンズ著)の感想です。

北朝鮮を撮ってきた! :アメリカ人女性カメラマン「不思議の国」漫遊記
- 作者: ウェンディ・E.シモンズ,藤田美菜子
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2017/09/26
- メディア: 単行本
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この本は、アメリカ人旅行者の著者が、10日間北朝鮮を旅した記録です。
この本では基本的に北朝鮮という国のことをディスりまくっています(笑)
この本で語られる北朝鮮のイメージは、「センスが古い」「貧相」「不自然」「クレイジー」などにネガティブなイメージで満ちています。
もちろん「あくまで著者の主観である」という留保は必要ですが、この本を読むと、やはり北朝鮮は抑圧された独裁社会なんだなあと感じてしまいますね・・・。
どこにいってもまず出てくるのは「偉大なる(親愛なる)指導者様」という言葉であり、彼らを批判することは(北朝鮮においては)絶対的なタブーなわけです。
また、すべてにおいて水準が低い、ということも分かります。
国立図書館のような場所に筆者が行った時の事。
そこで彼女は非常に貧相なAV機器や設備を見せられます。
(基本的にガイドがつきっきりで案内する。自由行動はゆるされていないんですね)
そこで彼女がつぶやく一言が胸に来ますね。
これがこの国の基準で優れているということなら、そうでないもの(注.庶民の生活レベル)はどれだけひどいことになっているのだろう?
この部分に限らず、鎖国的な政策を続けてきた北朝鮮の生活水準がいかに低いか、ということは随所に出てきます。
また「北朝鮮の不思議さ」が出たエピソードが描かれるのが第15章。
ここでは、為政者たちが存在すると言い張り、実際に北朝鮮の人たちはあるということにしている「壁」をめぐっての、すごく不思議な体験が語られます。
軍人が望遠鏡を調整し、「ほら、壁が見えますよ。御覧なさい」という。
覗き込む筆者。
でも壁なんて見えません。
だって壁なんてないんだもん。
見えるわけありません。
でも「壁なんて見えないわ、そんなものないじゃない!」ということは許されません。
だって北朝鮮の人にとっては壁があるということにしないと、粛清されますからね。
これってまるっきり「裸の王様」じゃないですか?
王様は存在しない服をあると信じ込んでいて、国民は彼の存在しない服を、あるものとしなければいけない。
ひとつだけ違うのは、「王様は裸だ!」と叫ぶことができる人間が、この国にはいないということ。
それを考えると、絶望的な気持ちになりますね。
また、北朝鮮で外国人の立ち入りが許されている部分では、ほとんどすべての現象が国家によって統制されている、という衝撃の事実(筆者の推測ではありますが)が語られます。
どういうことか。
彼女が旅先で体験する出来事、出会う人々、訪れる施設。
そのすべてが予定されたものであり、「作り物」であるということ。
つまり、出来事は演技であり、人々はエキストラ。
まさにリアル「トゥルーマンショー」なわけです!(笑)
それが端的に表現されているのがこの部分。
北朝鮮という国が完璧に振りつけられたミュージカルだということは、これまでに何度もなく気づかされてきた。
その中で 私の基盤がドンピシャのタイミングで解決されるのが常で、このときも例外ではなかった。
ちょうどそのとき、年端もいかない役所の卵たちが、完璧に振りつけられたダンスを「たまたま」踊り始めたのだ。
そのパフォーマンスのグランドフィナーレを飾ったのは、北朝鮮版のナチ式敬礼だった。
自分たちの思うように国を見せるため、外国人たちに向け演出をする為政者たち。
それは彼らが自分の国に本当は自信がないということの表れじゃないでしょうか?
本当に自分の作り上げた国が素晴らしいと思っているのなら、なぜそんな小細工をする必要があるのでしょうか?
疑問は尽きません。
最後に。
この本では北朝鮮という国のことは批判していますが、北朝鮮の人々は否定していません。
むしろ抑圧された社会で生きる彼らに、同情を示しています。
最後に、著者のそんなスタンスが出た文章を紹介して終わりにしたいと思います。
北朝鮮は 秘密と嘘と答えなない疑問がうずまく国。(中略)
北朝鮮を毛嫌いし、悪の国に分裂することはたやすい。
実際にそうなんだから。
笑いものにすることはもっとたやすい。
実際あの国の多くの事柄はあまりにもバカげているのだから。
私たち同様、彼らもまた人間。
党から切り離し、偉大にして親友なる指導者から引き離してみれば、北朝鮮人はリアルな人々だ。
そして私はいつもこんなことを考えてしまう。
もし私のガイドたちがどこか別のところに生まれていたら、どんな人間だっただろう ?
あるいはどんな人間になれただろう?
もしも私があの国で生まれていたら、私はどんな人間になっていただろうか。
北朝鮮を撮ってきた! ウェンディ・E・シモンズ著 p283 原書房
北朝鮮を笑いものにし、「あんな国に生まれなくてよかったー」と考えるのは簡単です。
でも、それでいいのでしょうか?
テレビの中で泣き叫んで喜んでいる北朝鮮の人は、もしかしたら自分だったかもしれません。
そして、もし来世というものがあるとして、そこで自分が北朝鮮の子として生まれるかもしれません。
そう考えたら、ただ彼らを一方的に「頭のおかしい人たちだから」と見放すことは、自分にはできません。
そんなことを考えさせられる一冊でした。