こんにちは!
今回は映画「シン・ウルトラマン」のお話です。
映画「シン・ウルトラマン」のラストシーン。
戦いを終えた神永が青空を見ていて、 その神永を長澤まさみがお帰りと祝福して終了!
その後のフォローは一切なし!
きわめて雑に、バツっと終わりました。
まるでエヴァテレビ版の最終回のような、え、これで終わり!? 感。
こういう唐突に終わる感じは結構好きなんで別に良いんですがらさ 、流石に驚きましたね笑
さて、今回はこのラストシーンの意味を考えたいと思います。
まずビジネス的な理由。
これはわかりやすいですね。
そうです、続編を作るためです。
だってお帰りと来れば次なに言います?
そうですね、ただいま、ですよね。
そう、帰ってきたウルトラマンですね。
そもそも「帰ってきたウルトラマン」って今考えると色々疑問が多くて。
これ、結局ウルトラマンが別人設定になったので、 今から考えると、帰ってきたって何が?って感じなんです。
が!
えらい!
うまい!
何気に最後の方でこれからも敵は襲ってくる、 みたいな伏線張ってましたしね。
やりたいんだろあなあ、続編。
というビジネス的な勘繰りも出来てしまう、 うまい終わらせ方でした。
また、個人的に思うもう一つの説。
それはこのぶつ切り感が示す、物語として不完全である、 という自覚の表れではないかとも思うのです。
なにせ本作は圧倒的に時間が足りてない作品でした。
時間がないから明確にダイジェストとして物語が展開されていく。
そこでは時間的、心情的な積み重ねの描写はことごとく排除され、 原因と結果が絶え間なく提示され続ける。
また徹底的に主役はウルトラマンで、 人間たちは彼を引き立てる存在に過ぎない。
感情移入するよちがない。
そして詰め込みすぎ。
まあこんな感じで欠点なんていくらでもある作品なわけですよ。
映画としての完成度も、お世辞にも高いとは言えない。
しかし、 自分はそれらの欠点を補って余りあるほどの愛をこの作品から感じ 、だからこそこの作品が好きだと感じております。
ですが、 やはり映画として相当歪なものになっているのも紛れもない事実な わけで。
その表現というか、 その象徴としてのこのあまりにもぶつ切りなラストなのではないか 、とも考えられるのではないか、と。
要するにラストシーンを不完全にする事で、 この映画はどうせ不完全ですよ!という開き直りというか笑
いやまあそんなことまで考えてないかもしれないですけどね笑
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