こんにちは!
前回↓の続きです。
さて、今回は原作本と映画の違いについて書きたいと思います。
下駄夫は映画の感想も書いているのですが、そのなかで「この映画は実話を実写化したものではあるが、エンタテインメントとして見るべき映画」ということを書きました。
そして、この原作本を読んだことで、その考え方は確信に変わりました (その記事↓)
というのも、映画の芯として描かれた、鹿野たちの三角関係(?)は、この本ではほんの一部にすぎません。
さらに言うと、その恋愛模様や、それ以外の映画で描かれた出来事というのは、原作本とは微妙に、もしくは大幅に異なる物が多いです。
例えばタイトルにもなった、鹿野が夜中にバナナを買って来いというシーン。
これ映画では、鹿野の家で、三人が出会う重要なシーンですが、実際は病室で、しかもボランティアは一人だったんですね。
このように、映画は原作に描かれた出来事を取捨選択し、再構成したものであって、いわば「半分フィクション」というべきものだったんですね。
ただこれが決して悪いわけではなく、映画として面白く・分かりやすく・コンパクトにするためには良い判断だったと思います。
さて、このように映画は原作をだいぶカットして(400ページありますからね笑)いたので、この原作本を読むことで、映画では分からなかった部分も知ることができました。
自分が感想であげた疑問点も解消されましたね。
鹿野はいかにしてボランティアネットワークを作ったのか?田中との出会いは?鹿野の収入は?等々、突っ込もうと思えばいくらでも?ポイントがみつかります。
こんなことを書いてましたが、原作本ではしっかりと書かれていました。
例えば財政。これは障がい者年金などで賄われていたらしいのですが、ボランティアがどうしても見つからないときは、有料のプロに頼むこともあったため、家計は「火の車」であったとのこと。
また、映画でも描かれていた母親への拒絶的な態度については、映画で描かれたことに加え、鹿野には知的障がいのある妹がいたことも関係していることも分かりました。
だから余計に母親には無理させたくなかったってことですね。
このように映画と原作本は違うところもあるのですが、共通している部分もありました。
一番大きいのは、鹿野と大泉はやっぱり似ているということ。
おしゃべりなところも、人を喰ったようなところも、それでいて人から愛されている所も。
だから大泉は良い配役だったし、彼でしかできない絶妙な演技だったと思います。
この本は、本としても非常に読みごたえがあって面白いですし、映画の副読本、補完本としても楽しめます。
映画を見て、鹿野とそのボランティアたちについて知りたい!と思った方は是非!