こんにちは!
今回はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン 25・26話」の感想です。
あらすじはこんな感じ↓
西暦2000年、南極に隕石が落下。かくして有史以来の大カタストロフィー「セカンド・インパクト」が起こった。それから15年、新たな危機が人類を襲う。「使徒」襲来である。使徒に対抗すべく、人類は汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」を開発。そして、パイロットに選ばれた「3人の少年少女」たちの戦いが、今、始まる――。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00932MR3O?tag=hatena-22&linkCode=osi&th=1&psc=1 2020/4/21閲覧
説明不要の国民的アニメ「エヴァンゲリオン」シリーズ。
その完結編となる「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」に向けて、漫画やアニメを見直そう!というのがこの記事です。
すでに漫画もアニメも10回以上繰り返して見たり読んだりしているので、もはや初見時のような新鮮な感想はないのですが(笑)、改めて再読・再見して気づいたことを書いておきたいと思います。
・25話 「終わる世界」
人類補完計画が発動したことが断片的にわかる25話。
レイの言う「無に帰る」とは「リリスとの融合」であり、それが補完計画を発動させるきっかけとなったのでしょう。
主になるのがそれぞれの魂のありよう、レゾンデートル(存在理由)。
まるで取り調べのように進んでいく時間はなかなか観念的でわかりにくい。
ただ今回見てみて改めて思ったのは、シンジ君・ミサトさんは父親に、アスカ・リツコは母親に対して愛憎入り交じるコンプレックスを抱いている、ということ。
そして、そのコンプレックスの根源にあるのは「孤独への恐怖」(親に見捨てられることへの恐怖)である、ということ。
また、1・2・3人目のレイやカヲル君とそれぞれ対話をしていることを考えると、レイの魂(=リリスの魂)やカヲルの魂(=アダムの魂)も補完の対象になっているようですね。
・26話「世界の中心でアイを叫んだけもの」
引き続き補完計画進行中です。
このお話のテーマは「他人がいることで自分と言う存在を理解できる」ということでしょうね。
この世界に自分しか存在していなければ「自分」や「他人」という区別もつかないわけですからね。
とはいえ、重ねに重ねた伏線や謎をすべて放棄し、「他人がいることって大事だよね。ハイ、おしまい」という道徳の授業なようなことを言われておしまいじゃあ、やっぱり納得できないっすよ(笑)
あと、マヤちゃんのいう「嫌いです」がマジトーンすぎて辛い(笑)
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