特撮は大人の嗜みです。

特撮やアニメなどの子供向け作品は大人が見てこそ面白い!  総アクセス80万突破しました!

「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」を見ることは「子供」を卒業すること

こんにちは!

 

今回は「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」のお話です。

 

シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽(通常盤)

 

 

この記事で言いたいことはタイトルに書いたことがすべてです。

「Q」を劇場で見た時、自分はまだ中学生か高校生でした。

当然「子供」でした。

 

あれから9年が経ち、自分ではまだまだ大人になり切れていないつもりですが、世間的にはもう「大人」には分類されません。

少なくとも「子供」にカテゴライズされる年ではなくなってしまいました。

 

ただ、やはり自分ではまだ「子供」を引きずっているつもりなんです。

でも、色々と「大人」として振る舞うことが求められることも増えています。

 

そのせめぎ合いの中で、「エヴァが終わる」というのは、何か非常に象徴的な意味を持つものなのです。

うまく言語化できませんが、「エヴァが終わることで、自分の中の何かが終わる」という予感を持っていた人は多かったのではないでしょうか(「さらば、全てのエヴァンゲリオン」というキャッチコピーが一層その予感を強めました)。

そして、実際「シン・エヴァ」を見終わった今、「本当に大人にならなきゃなあ」という気持ちが今強くなっています。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

なんなんでしょうね、人にここまで「何か」を実感させるエヴァというものは。

いってしまえばただのエンタメ。

ただの虚構。

ただのアニメ。

 

   

 

なのになぜ、感動以上の何かを人に訴えてくるのか。

とにかくものすごい作品であることは変わりませんね。

 

普通、映画とは見たところがスタートラインですよね。

映画を見て、面白いと思って、その作品について考えて、グッズを買って・・・と体験を積み重ねていく、その始まり、映画との出会いが「見ること」。

なのに、この映画は「見ることで何かが終わった」と実感させる。

 

多くの人が言っているように、映画を見る前にすごく緊張したんです。

普通ないでしょ?映画の前にド緊張することなんて。

これから楽しい体験をするのにね(笑)

普通ワクワクしこそすれ、緊張はしないでしょう。

でも、エヴァは緊張した。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

それはエヴァが「現象」だからなのかなあ、と思います。

うまくは言えませんが、明かされる新情報に一喜一憂して、予告が公開されるたびに考察して・・・。

でも映画を見てしまえば答えが出る。

答えが出てしまう。

 

それは「Q」を見て放り出された、「なんじゃこりゃ!?」という長い長い空想の「終わり」なのかもしれません。

そしてそれは、色んな本や記事を読んで様々な考察をしていたあの頃の自分の「終わり」だったのかもしれません。

 

関連記事はこちら↓

 

rimokongetao.hatenablog.com

rimokongetao.hatenablog.com

rimokongetao.hatenablog.com

 

ちなみに自分は「シン・エヴァ」を見ることは「童貞卒業」と似ているなあ、と思いました(笑)