こんにちは!
今回は「意識高い系の研究」の感想です。
前置き
この記事は2年近く前に書いたものの、ずっと公開するのをためらっていた記事です。
ですが、深刻なネタ切れにより、ついに公開するに至りました。
以下の文章には一切手を入れていません。
ここで書いていることは二年前の自分の意見であり、今の自分の意見とは異なる部分も少なくありません。
が、せっかくなので原型のまま公開します(笑)
では、どうぞ!
「意識高い系」とは何でしょうか。
まずはネットにおける定義を見てみましょう。
意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者[3]、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人[4]などを意味する俗称である。
(中略)
「意識が高く行動力があることは結構だが、それが空回りしていたり、ポイントがズレていたり、自己顕示欲の高さが感じられるので、揶揄の対象となっている」
(中略)
精神科医の片田珠美は、「意識高い系」とは「『意識が高い人』を装いながら空回りしている人」を皮肉った言葉であると述べ、他者からの承認欲求が強過ぎて滑稽に見えるケースであるとしている[7]。
著述家の古谷経衡も、「意識高い系」について、実際に意識の高い人間を茶化すための言葉ではなく、意識の高い「ふり」をしている中途半端な人間を指すとしており、意識の高さをアピールすることによる他者からの承認欲求が透けて見えることを意味するとしている[12]。また、「意識高い系」の人間は他者の勝利や成功の部分のみをトレースし、努力を忌避したり、努力をする人間自体を見下す傾向にあると論じている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E9%AB%98%E3%81%84%E7%B3%BB 2019/10/12閲覧
要するに意識高い系とは「天才や成功者にあこがているが、本人の才能・努力が足りていないため凡人にとどまってしまっている、しかしながら、自分が平凡であることを認められず、それを誤魔化すために意味ありげなことで自分を飾り立てているが、それが周囲には痛々しく映っており、それに気付けていない人たち」のことといっていいでしょう。
「意識高い系」という病 ?ソーシャル時代にはびこるバカヤロー? (ベスト新書)
- 作者: 常見陽平
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2013/12/27
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
この本が革新的なのは、ただ「こういうやつ意識高い系、ああいうやつも意識高い系」と分類し、それぞれの傾向を分析することに終始せず、その先、つまりは「意識高い系が発生する条件」をしっかりと定義したこと。
彼の定義&この本から得たことを自分なりにまとめて意識高い系を定義すると、
①非リア充(ここにおけるリア充の定義には恋人の有無は関係ないらしい、後述)
②学生時代、スクールカースト上位層出身ではない
③地元に住んでいない
④承認欲求が強く、それを(特に努力せず)充足しようとする
⑤自己評価が不当に高い
⑥自撮りをすることを憚らない
この6つがあると思います。
彼の主張においては土地というのが意識高い系に一定程度重要な役割を果たすようです。
が、正直自分はその部分に関してはあまり納得はできませんが、一応入れておきます(笑)
まず言っておきたいのは、この本は20代・30代で自意識をこじらせている人(自分含む)は必読の本です。
自意識をこじらせている人というのは、潜在的に意識高い系という「自己顕示欲の化け物」(本文中の表現)になってしまう可能性を秘めているものです。
ゆえにこの本を読み、意識高い系についてよく知り、自分がそうならないように注意する必要が大いにあるのです(笑)
なぜ意識高い系になってはいけないのか?
本人が楽しいならそれでいいじゃないか?という意見もあるでしょう。
確かにそうかもしれない。
でも意識高い系というのは端的に言えば、他人に迷惑をかけるのです。
なぜなら意識高い系のグロテスクな願望の充足とは、他人の承認なしには達成されえないからです。
意識高い系というのは、「俺を褒めろ!」「私をたたえろ!」と有形無形に他人を巻き込み、承認を求めてきます。
でもそれは「精神的なオナニー」だと思います。
彼らは「頑張っている(風)の自分」を見せつけ、他人に承認されることで気持ちよくなろうとします。
その人が勝手に気持ちよくなるのは勝手です。
でも他人を巻き込んではいけない。
意識高い系の無差別な自己承認欲求とは例えるならば知らないおっさんが下半身丸出しでやってきて「おい姉ちゃん、俺これからオナニーすっから服脱げや、おっぱい見せろや」と言ってくるのと同じようなもんです。
つまり「キモチワルイからこっち来るな、やるなら一人でやれ」ということです(笑)
皆さん、こんなことを求める人と友達でいたいですか?仕事をしたいですか?
嫌ですよね、だから意識高い系になってはいけないのです。
意識高い系になってしまうということは、自分の気持ちよさの代償に、他者からの信頼を失うということです。
それはあなたにとって確実にマイナスです。
「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)
- 作者: 山竹伸二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/03/18
- メディア: 新書
- 購入: 8人 クリック: 1,042回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
人に認められたいと思うのは当然のことです。
それ自体は悪いことでも恥ずかしいことでもなんでもありません。
問題なのは何の努力もせずに、承認という結果だけを手にしようとすることです。
ごく一部の天才を除き、僕たちは愚直に努力することでしか結果を手に入れることはできません、残念ながら。
だから選択肢は本来二つしかないのです。
一つは愚直に努力を続けて結果を手に入れること。
もう一つは努力をあきらめ、承認されることもあきらめて、楽な生活を送ること。
でも意識高い系は、努力をしないくせに、結果だけは求める。
だから人から嫌われるのです。
最後にもう一度書きます。
誰でも意識高い系になってしまう可能性は十分にあります、なぜなら楽で気持ちいいから。
ですが、それに落ちることは愚劣で醜悪な人間になるということです。
そうならないために、この本を読んで勉強しましょう(笑)
関連記事はこちら↓