こんにちは!
今回は映画「わたしは、ダニエル・ブレイク 」の感想です。
あらすじはこんな感じ↓
●第69回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞!
名匠ケン・ローチが<今、だからこそ>全世界に伝えたいメッセージ
前作の『ジミー、野を駆ける伝説』を最後に映画界からの引退を表明していた、イギリスを代表する巨匠ケン・ローチ監督。しかし、現在のイギリス、そして世界中で拡大しつつある格差や貧困にあえぐ人々を目の当たりにし、今どうしても伝えたい物語として引退を撤回してまで制作されたのが本作『わたしは、ダニエル・ブレイク』である。複雑な制度に翻弄され、人としての尊厳を踏みにじられ貧困に苦しみながらも、助け合い生きていこうとするダニエルとケイティ親子との心の交流が世界中を感動と涙で包み込み、カンヌ国際映画祭では、見事、『麦の穂をゆらす風』に続く2度目のパルムドールを受賞した。長編映画監督デビューから50年、ケン・ローチ監督の集大成であり最高傑作との声が相次いでいる。
●yahoo! ユーザー評価ランキング第1位! (17.3.21付)ミニシアターランキング1位! (3月25日~3月26日、CINEMAランキング通信(興行通信社))幅広い層に支持され、ロングラン大ヒットを記録!
世界で拡大しつつある格差や貧困という社会的なテーマながら、多くの人々から支持を受けSNSや口コミが拡がり、ロングラン大ヒットを記録! 本作では、ケン・ローチ監督がこの作品に込めたメッセージ「誰もが享受すべき生きるために最低限の尊厳」や「人を思いやる気持ち」に賛同し、「ダニエル・ブレイク基金」を設立。映画を観ることが寄付になり、劇場で缶詰を集め配布する “フードドライブ"を実施するなど*、新しい試みが新聞、テレビ等で注目された。
【ストーリー】
ダニエルが教えてくれたこと-
隣の誰かを助けるだけで、人生は変えられる
イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく。
大学時代の社会学を専攻する先輩が「これは是非見た方がいい!!」と絶賛していた一本。
社会福祉や貧困、国家の怠慢、不寛容、社会的弱者、そういった要素を一手に引き受ける主人公の二人の、国家制度に対する静かな怒りが伝わってくる名作です。
(まあ実際は怒鳴り散らしたり、役者の壁にスプレーでペイントしたり、なかなかアグレッシブですが笑)
主人公はなぜ怒るのか?
それは「今までまっとうに生きてきたのに、一度レールから外れると、人間として扱ってもらえず、最低限の尊厳すら奪われるから」です。
主人公ダニエルが再三要求し続けるのは「俺を一人の人間として扱ってくれ!当たり前の権利を行使させてくれ!」ということ。
彼の要求は至極まっとうだし、人間として当然のことです。
彼はいままでちゃんと生きてきました。
きちんと働き、結婚し、納税しと、生活を積み上げてきた。
ただ、少し病気になっただけ。
そんな人間を「使い物にならない厄介者」とばかりに排除しようとする、社会のこの不寛容。
これは許せない!という話でしょう(もちろんまっとうに生きてない人間はのたれ死んでもいいというわけではありませんが)。
そして「支援が欲しいなら、役所のルールに従え。従わなければサービスは提供しない」という傲慢。
この傲慢で、不条理で、無意味なやりとりにダニエルは憤慨し、反旗を翻す。
しかし、そんな彼に待っているのは、死かホームレス。
「物乞い」に身を落とすことのできない、誇りを持った人間が救われないという矛盾。
これは心を震わせると同時に、この理不尽に怒りがわいてきます。
さて、タイトルにもしましたがこの映画、「ジョーカー」と似ていると思います。
いままでお読みいただけた部分からでも「ジョーカー」と似た部分を感じていただけるのではないでしょうか。
最後、主人公ダニエルは持病が悪化し死んでしまいますが、もし彼がもう少し若く、そしてどこかで犯罪に関わることがあったらなら、彼は「悪のカリスマ」に変貌を遂げたかもしれない。
そういう意味で映画「ジョーカー」と裏返しのような作品だな、と感じました。
是非、見てみて下さい。
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