こんにちは!
今回は「新世紀エヴァンゲリオン」のお話です。
旧劇(「Air/まごころを、君に」)を見ていてふと疑問に思ったんです。
「シンジって童貞なのか?」と。
今まではなんの疑いもなく「いや、童貞でしょ」と思っていました。
そもそも他人に恐怖を抱いている男ですし、アスカとファーストキスをしていましたし、レイの裸にめっちゃくちゃ動揺してましたし(笑)
しかし、旧劇の描写の中でシンジとアスカがピロートークしているように見えなくもない描写があったりするんです。
また、ある人がこう言っていたのです。
「旧劇のシンジの悩みはセックスしたことがある人の悩み」であり、「関係を持った後の女性との関係性との悩みの話がとどのつまり旧劇のテーマである」と。
確かに言われてみれば、旧劇は「性」が全体的なテーマとして色濃く出ていますし(オナニーから始まるしね笑)、加持とミサトの性交もかなりしっかり描かれています。
この映画を作った時点で庵野秀明は当然童貞ではありませんから(笑)、そういう描写が出てきても不思議ではまったくありません。
「5人の女性に感謝」という言葉も劇中にありますしね(だれかは知りませんが)。
と、話が逸れましたが、ここに「シンジは童貞なのか裁判」を開廷したいと思います。
童貞派
証拠① アスカをおかずにするシンジ
ここ、すごーく童貞っぽいですよね(笑)
証拠② 加持とミサトの性交への嫌悪感
自分も経験者だとするなら、あそこまで露骨に嫌悪するかなあ?
まあこの部分は、「ミサトの中にいるシンジ」でしかない可能性も高いですけど
非童貞派
証拠① ピロートークっぽい描写
証拠② 食卓でのシーン
ここが現実にあったことなのか、それともただの心象風景なのか微妙なところがあります。
ただ、ここのシンジ君の異様になれなれしい態度は、一度抱いた女性に対する「抱けたということは心を許した→もう俺の彼女」的な図々しさというか、痛々しい勘違いの感じを持ちます。
アスカが心を許してくれるだろうという童貞的勘違いのシンジ君と、「一回やったからって彼氏面してんじゃねーよ」という、もうすっかり醒めてしまっているアスカのギャップ。
あるいは、まだ好きな彼氏ともうまったく好きじゃなくなった彼女のディスコミュニケーション。
その「え?なんで?彼女になったんじゃないの?」というシンジ君の思い込みと、拒絶された怒りがシンジにアスカの首を絞めさせたんじゃないじゃ。
そんな読み取り方もできるシーンなのかな、と思ったりします。
・判決
ま、要するに実際に童貞であるかどうかは置いておいて、シンジ君はメンタル的には童貞です(笑)!!!
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