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新世紀エヴァンゲリオン 26話「まごころを、君に」がわかりにくいのは、テーマと物語が混在しているからだ!

こんにちは!

 

今回は新世紀エヴァンゲリオン 26話「まごころを、君に」のお話です。

 

 

通称旧劇と呼ばれる「Air/まごころを、君に」の後半パートにして、エヴァの物語の真の完結編となるべきエピソード。

なんですが、これがまあわかりにくい(笑)

 

何度見ても「?」となるのですが、今回わからない部分をピンポイントで何度もリピートしたり、スローにしたりして見ることでとりあえず「なぜわかりにくいのか?」は分かった気がします。

それは、タイトルにもしたように「テーマと物語が混在しているから」だと思うんです。

 

物語とはサードインパクトの詳細であり、この部分と「ヱヴァ Q」の関連性はまた別の記事で書きたいと思います。

なので、今回はテーマの方を時系列順に掘っていきます!

 

・砂場のシーン

カメラや人形があるのは、TV版の方の補完計画の演出を引き継いでいるのでしょう。

で、砂場のシーンで描かれていることというのは母親の不在でしょうね。

周囲の子供たちには母親がいるのには自分がいるのに、自分にはいない。

その不満の解消のために作っては壊しているのでしょう。

 

 ちなみにシンジのこの不安は、10分後くらいのシーンでエヴァ(母)との離別という形で示されます。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

・アスカとシンジの食卓でのシーン

ここでシンジはアスカを選びます。

レイやミサトはなぜダメだったのか?

 

まずレイですが、これより前のシーンでエヴァよりさらに巨大な存在と化したレイをシンジ君は見ていますから、もはやシンジ君にとって彼女は人間ではないのでしょう。

 

次にミサト。

ミサトの台詞で「シンジ君の母親」になれなかったというのがあります。

なぜか?

ミサトはシンジに女としての側面を見られたからでしょう。

息子というのは、母親の女としての側面を見せられることに敏感ですし、嫌がりますからね。

 

ここでミサトも脱落。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

となると、残るはアスカ。

そう、決してシンジ君は「アスカがいいからアスカを選んだ」のではなく、アスカの台詞でもあるように「かまってくれるならだれでも良かった」。

その上で一番安全なアスカを消去法で選んだに過ぎないのです。

失礼な話ですね(笑)

 

そして、それをアスカに見透かされている。

だからこそ、彼女にシンジは拒絶される。

その拒絶された怒りを首を絞めるという方法で提示しているわけです。

 

ここで重要なのは、首を絞めたシーンでまるでその行為を祝福するような音楽が流れることです。

「ような」というか、個人的には「祝福」の意図で間違いないと思っています。

 

   

 

なぜか?

それはこのシーンで(おそらく)初めてシンジ君が他人に強い感情(執着)を、自分から表現したからです。

 

これは前の砂場シーンと関連させて考えると、今までは自分一人で感情を溜めこんでいた彼が、初めて他人にその感情を向けた、ということなのかもしれませんね。

 

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

 

・一連の実写シーン

ある意味この映画を象徴するといえる実写シーン。

雑踏のなかに声優がいたり、キャラクター(のコスプレをした人)がいたり。

 

虚構と現実。

虚構とはアニメであり、現実とは実写(僕たちがいるこの世界)。

虚構とはキャラクターであり、現実はそれを演じる声優。

さらに、劇中の台詞を解釈すると、虚構(アニメ)とは夢であり、現実の埋め合わせであり、「現実の続き」です。

同時に、現実とは「夢の終わり」でもあります。

 

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

・なぜ観客を映すのか?

そしてこの映画を見ている観客は、現実と虚構の狭間にいる存在。

いわばどっちにも転ぶことのできる存在です(まあ、夢と現実の話を解釈する限り、どちらも地続きである、という話なのかもしれませんが)。

そういうアンビバレントな存在に置かれている観客をわざわざ映す意味とは?

 

これは「この映画で描かれていることを自分ごとと感じさせるため」じゃないでしょうか。

では、何を自分ごとと感じさせたいのかについては、また後で書きます!

 

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

・希望とは?

補完計画で達成される世界は、他人の恐怖(他人に拒絶される恐怖)がなくなることです。

希望とは、他人同士が分かり合うことであり、「好き」という感情です。

 

しかし、「希望」は終わります。

なぜなら「好き」は永続しないからです。

ここら辺、庵野秀明の男女観、というか人間観が現れている気がします。

要するに感情は永続しない、ということですね。

 

それでもシンジ君は他人の恐怖がある世界を選びます。

 

ここら辺、個人的にはなんとなくこの映画を作ったとき庵野秀明は彼女に振られて、次の恋愛に踏み出す的な、どうでもいい感情が入っているんじゃないか、と邪推します(笑)

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

・シンジは「気持ち悪い」?

なぜシンジはアスカの首を絞めるのでしょうか?

 

アスカが憎いからでしょうか。

それとも自分の行為を後悔しているからでしょうか。

 

そしてなぜ泣くのでしょうか?

アスカを殺してしまうのが悲しいからでしょうか。

それとも自己憐憫でしょうか。

 

まあシンジの心情はわかりませんが、ひとつだけはっきりしているのは、アスカにとってシンジは気持ちが悪かった、ということです。

 

と、ここまで色々書き散らしてきましたがまとめますと、この話には色んなテーマがあるのですが、それは大別すると二つに別れると思うんです。

一つは、シンジ君が他人を受け入れるその過程を描くというテーマ。

その過程はかなり痛々しいものではありましたが、まあいいでしょう。

 

もう一つは、庵野秀明のアニメファンに向けたメッセージ。

要するに「アニメに没頭してないで、現実を生きろ、キモチワルイぞ!」ということですね。

すいません(笑)

 

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