こんにちは!
今回は映画「式日」の感想です。
あらすじはこんな感じ↓
女優・藤谷文子の記した原作をもとに、アニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』で一大ブームを呼んだ庵野秀明監督が、自伝的要素を多分に盛り込みながら実写映画化した話題作。撮るべきテーマを見失い、故郷の山口県宇部市(庵野監督の故郷でもある)に帰ってきたカントク(岩井俊二)は、誕生日の前日を生き続ける不思議な少女(藤谷文子)と出会い、彼女の行動をビデオカメラで追い続けていくうちに、奇妙な連帯感が生まれていく…。
シネスコ画面や実験的映像の数々、モノローグの多用などによって、孤独を抱える者同士のランデブーが、いつしか映像の中で心の小宇宙を形成するかのように切なく映え渡る。クリエイターでしか理解しえないであろう苦悩と絶望の彷徨を、庵野監督に代わって体現する映画監督、岩井俊二の存在感もいい
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映画監督・岩井俊二演じる主人公の男性と原作者であり、女優でもある藤谷文子。
二人の間に流れるのは友情なのか愛情なのか恋愛なのかただの興味なのか、それとも孤独への恐怖か。
中盤で彼女が示す「捨てられることへの恐怖」というのはエヴァンゲリオンでも示された「一人は嫌」というテーマの反復でしょうね。
自分はこの映画を「エヴァンゲリオン」を理解するために見てみたのですが、「END OF EVANGELION」の終盤で描かれていた、恋愛や男女に関する庵野秀明の考え方がこの二人にあらわされている気がしますね。
女性の方は先ほども書いたように「見捨てられることへの恐怖」であり、それはつまり「孤独の恐怖」でしょう。
そして役柄から考えても庵野秀明の投影であろう男性の方はそんな彼女とつかず離れずの距離感を保って彼女を観察しています。
それはエヴァでミサトさんが言っていたように「自分が傷つかない距離感を取っている大人」な態度なのでしょう。
でもそれってずるいんですよねえ、やっぱり。
結局自分の作品のために彼女を利用しているし、彼女が本気で男に向かっているのに対し、彼は(あえて?)本気にならないようにしている。
その「大人の余裕」な態度は先ほども書いたように「自分が傷つかないため」の態度なんですよね。
また、最初はエキセントリックな彼女に魅力を感じていた男が、次第にめんどくさくなっていく様子はリアルだなあ、と思いましたね。
「うっとうしくなってきた」という言葉にはドキッとさせるものがありますよね。
恋愛も最初はラブラブ(死後)でも、次第に感情が摩耗していくものですからね。
ちなみに今回一番グッと来た台詞は
「セックスは嫌い。セックスをするとただの男と女になってしまうから」ですね。
これはセックスを拒みたいときに使えますね!(笑)
モテる方、是非お使いください!
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