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新しいエヴァは庵野秀明が〇〇したら作られる! 「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」 感想 後半戦!

こんにちは!

 

今回は「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」の感想、後半戦です。

 

新世紀エヴァンゲリオン(14) (角川コミックス・エース)

 

 

㊟この記事は「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」のネタバレを含みます。

ご注意ください!!!

 

 さあ後半!

ついに実現したシンジとゲンドウの対話。

ここでシンジとゲンドウは現実ではない場所で様々なシチュエーションで争い、対話を繰り返します。

このシーン意図的にセットっぽく作られていたところに庵野総監督の特撮愛を感じましたね(笑)

(例えば初号機が倒れるシーンで青い背景がたわむところや明らかにホリゾントっぽい感じとかね)

 

そんな映像的な遊びも面白いですが、語られている内容は「エヴァンゲリオン」という作品のど真ん中、ど直球にテーマを語っていましたね。

要するに、「エヴァンゲリオン」というのは碇シンジの物語であると同時に、碇ゲンドウの物語でもあるわけです。

 

で、彼も子供の頃はシンジのように、孤独と知識とピアノだけを愛し、他人とかかわらないように生きてきた。

なぜなら、他人は理解できなくて怖いから。

だから一人で良いと思って生きてきた。

 

でも違ったわけです。

 

 

 

ユイという存在と出会い、ゲンドウは変わった。

他人といることに初めて喜びを感じた。

他人といて嬉しいと思った。

 

ここまではシンジ君と同じです。

 

しかし、ゲンドウはその最愛の存在を失い、絶望し、世界を恨んだ。

喜びを与えて奪うなんて。

なんてこの世界は残酷なんだ、と。

だから世界を変えようとした。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

ここですごく重要なキーワードが出てきます。

それは「現実を虚構で塗り替えようとする」ということ。

(正確な表現は忘れましたが、現実と虚構と確実に言ってはいたと思います)

 

つまり、ユイがいないという現実を、ユイが生きているという虚構に書き換えようとした。

それがゲンドウの目的なわけです。

(まあそれは今までのエヴァでも分かっていたことですが)

 

その象徴として、「エヴァンゲリオン インフィニティ」周りの表現がやけに写実的になっていたのでしょうね。

特に実体化したリリス(?)のリアルなこと。

 

ここら辺の描写は旧劇の語り直しという印象もありますよね。

実際似たようなシーン(群をなしてエヴァ?が歩くシーン)もありました。

ただその当時は技術的に思うように表現しきれなかったのかもしれませんね。

だからこそ最新のテクノロジーで、現実(=リアルなレイ・ユイ)と虚構(=アニメパート)を対置させ、再びそのテーマを語った。

 

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

 

つまり、虚構とは劇場にいる僕たちがみているアニメであり、現実とは劇場の外側の世界。

今映画を見ている僕たちは、現実と虚構の狭間にいる。

それはまさにシンジやゲンドウの状況とシンクロすることにほかならず、今この映画を見ている僕たちは、虚構にとどまるか、現実世界に踏み出すか選ぶことができる。

同時にシンジもゲンドウも、どちらを選ぶか選択できる。

 

その上で二人とも「現実」を選択するというのが、非常に示唆的でした。

ゲンドウも気づいたように、村での体験を経て、シンジは「リアリティの世界で立ち直っていた」のです。

 

そう、息子であるシンジはすでに虚構(=イマジナリー)から現実(=リアリティ)に移行していた

 

 そしてゲンドウも、シンジの中にこそ自分が求めていたユイがいたことを知り、やっと未練なく虚構(=イマジナリー)から現実(=リアリティ)にその存在を移すことが出来た。

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

この、ゲンドウが否定・拒絶し続けてきた息子であるシンジを、きちんと真正面から受け止め、和解する、という描写は、ずっと待ち続けている場面であり、非常に感動的でした。

 

息子を、愛情を奪う存在ではなく、自分を拒絶する存在ではなく、愛すべき存在としてついに受け入れたゲンドウ。

それこそがゲンドウが向き合うべき現実(リアリティ)。

 

そしてここからは妄想ですが、ゲンドウがこの境地に至ることが出来たのは、やはり庵野総監督が結婚したことが大きいのかな、と思うのです。

自分は結婚したことがないのでわかりませんが、主題歌「One Last Kiss」にあるように、本当に大切な存在と出会い、そして相手も自分をそう思ってくれる、そういった存在と一生を添い遂げる約束をする、というのは精神的に大きな意味を持つのでしょう。

 

 

rimokongetao.hatenablog.com

 

穿ちすぎかもしれませんが、若いころのゲンドウが若き日(=新世紀エヴァンゲリオン)の庵野総監督の姿に見えたんですよね。

その頃、彼は「結局他人とは分かり合えない」と思っていたのではないか。

 

だからこそ旧劇はあんな終わり方だったのはないか。

でも今回はキレイに終わらせることができた。

 

それは、彼が根拠のない他人への不安、嫌われるいるに違いないという幻想(=虚構)から脱却し、他人は信じられる、人は意外と優しいものだということ(=現実)を、実際に所帯を持ってしっかりと生きていく中でしったからではないか。

 

それが旧(Q)劇で壊れてから、「シン・エヴァ」へと至るまでの庵野秀明という人間の中に起きたことなのではないか。

 

「イマジナリー」から「リアリティ」へ。

「虚構」から「現実」へ。

 

旧劇からのテーマがやっと完結した新劇場版。

自分はこの結論を支持したいと思います。

すごく、良い映画でした。

 

   

 

ちなみに。

もし新しいエヴァ庵野秀明の手によって再び作られるとしたら、それは離婚した時か、安野モヨコさんと死別した時だと思います。

が、お2人の人生を考えると、そんなことは起きてほしくないですね。

 

それに、そんな状況で作られたエヴァは、めちゃくちゃ暗くて「この世界は地獄だ!」みたいな話になりそうですしね(笑)

 

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